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小論文ノートを作る15   [小論対策]

『だまされないために、わたしは経済を学んだ』 村上 龍/NHK出版

(p22-p23)
 「これからはどういう時代になるのか」ではなく、「これからどういう時代にしていくのか」という問いが大事。
 とりあえず英語と表計算ソフトくらいは使えるようになっていたらどうでしょうか。

 どういうスキルを身につけるべきかと他人に聞くような人間はすでにダメなような気がします。

(p67-p68)
 「きっかけ」というのは、常にそのへんに転がっていて、それに出会いさえすれば、誰でも何かを成就できる、というニュアンスを含んでいます。自分が成功できないのはきっかけがないだけで、友達がいないのもきっかけがないからで、他の成功者は単にきっかけがあったからなのだ、というエクスキューズが許されるわけです。そこには科学的な努力の必要性も、考え抜くという行為も、徹底的な検証という前提もない。

 きっかけなどないと言った後に、「人間のすべての行動は広義の経済活動であり、重要なのは『きっかけ』などではなく、有益な経済活動の機会に遭遇しようという積極性と、機会を捉えそれを活かそうという決意と、その意志と行動を継続していくための努力だ」という風に答えると、インタビューの場は完全に白けてしまいますが、きっかけという言葉が機能している間は、日本がリスクテイク社会になることはないでしょう。

(p97-p98)
 比喩は対象を分かりやすくしたり曖昧にしたりしますが、もちろんその過程にはユングの言う「象徴」が作用しています。意識下から象徴的な意味を探り当てた時に限り、比喩は機能するのであって、それが単に記号にとどまればカタルシスのない曖昧さだけが残ることになります。あそしてメディアがその傾向を加速するわけです。

 わたしは比喩に対して慎重にならなければいけないと思っています。たとえば財政を家計にたとえて語る時、その効果と弊害を絶えず考えなければいけないのではないでしょうか。

小論文ノートを作る14   [小論対策]

『アウェーで戦うために (フィジカル・インテンシティⅢ)』 村上 龍/光文社
(p84) コスト&ベネフィット 費用対「効果」ではない、費用対「利益」だ。効果という言葉では利益を受ける人間の存在が曖昧になる。

(p25)
 世間のさらし者になる「加害者」が特定された瞬間に、「被害者」は単に救済されるべきものとして扱われ、その責任が一切問われないのは不自然ではないかと言うことだ。もちろん錯誤の契約は無効だろうし、恐喝的な回収には法的措置が必要だ。しかし、借り手の責任がゼロのはずがない。

(p109)
 日本的な組織では、内部構成員同士の相互信頼と言うよりは、組織への従属が求められる。そして、組織への従属が最優先される場合、内部構成員同士には逆に不信感があった方が都合がいい。どれだけ組織に忠実に従属できるかという競争をさせることができるからだ。その競争は、たとえば上司にどのくらい気に入られるかというようなバカげた基準で勝負が決まるので、信頼関係など生まれるわけがないのである。

 そういった組織論で育った人間は、真に組織的なサッカーができなくなる。ミスを恐れ、決められた動きしかできなくなる。

(p120)
 スポーツは治安に貢献する。汗を流せば脳にエンドルフィンが分泌されることは科学的に証明されている。つまり、スポーツで汗をかくことはカタルシスをもたらす。それにスポーツは子どもたちに遊びの概念を教える。これは遊びなのだというメッセージの送り方と受け取り方を学ぶことは、遊びと現実の境目が分からない子どもたちにとって大切なことだ。

(p121)
 大人たちが本気になって、金を出し惜しみせず、青少年の非行と犯罪を防止しようとしているという姿勢をアピールする必要がある。税金を使って採算に合わない橋や道路やダムを造り続けてきたわけだが、そのつけは意外なところに現れているということになる。慌てふためいているだけで大人たちが本気で考えていないことを、子供は見抜いているのだ。

(p170)
 水連は不正を働いているわけではなく、悪意があるわけでもない。単に考え方が現代に合っていないというだけなので、彼らの「間違い」を「正そう」としてもうまくはぐらされるだけだ。現代にマッチしていないことを証明するのはきわめて難しい。教育もメディアも政治も現代にマッチしていないが、ドラスティックに変化する気配はない。

(p176)
 不祥事を起こした企業の経営陣や官庁の責任者は、ありもしない幻想の世間に対して「ご迷惑をおかけしました」と頭を下げる。同じ過ちは起こさないと確約してフェアな金額の賠償金を払い、責任の所在と改善点を明らかにすれば、テレビカメラに向かって謝る必要などないのに、まったくわけがわからない。

小論文ノートを作る13   [小論対策]

『MUNDIAL2002 世界標準を越えて (フィジカル・インテンシティⅣ)』 村上 龍/光文社
(p110)  大前提的な一致団結と、権威による統治をベースにする日本の共同体においては、希望的観測を排除することそのものがタブーとなっている。希望的観測が、共同体の一体感を醸成するからだ。そのような共同体は、常に危機を先送りにする。悪意があるわけではない。危機を認識し、共同体の成員に伝える文脈を持っていないからだ。

(p308-309)
 ヨーロッパには芝生のサッカーグラウンドが至るところにあるし、アメリカにはバスケットボールのコートが至るところにある。スティーブン・ソダーバーグの『トラフィック』という映画では、メキシコ人の刑事が、子どもたちの野球場にナイター設備を作ることを、司法取引の条件にする。理由を聞かれて、犯罪が減るからだ、とその刑事は答える。

 わたしたちの社会にはそういう発想がない。子どもの犯罪は順化の努力が足りないせいだと考えられている。だから、子どもにはボランティアの労働を課して、教養を身につけさせればそれでいいと文部科学省やその審議会は考える。それは、そういう間抜けなことしか考えられない人たちが、大人の指示に従いさえすればそれだけで利益が保証された時代に育ったからだ。

 少年がホームレスを襲って殺したりしたあと、必ず学校長が生徒に向かって「命の尊さ」を説く。だったらその校長は現在アフガニスタンやパレスチナ、その他の国や地域で、内戦や飢餓で多くの人命が奪われていることをどう説明するのだろう。他の国のことだったら別にいいのか、と生徒が聞いたら何と答えるのだろう。日々簡単に命が奪われる場所が世界に多くあるときにどういう抵抗をしているのか、と疑問に思う生徒にどう対応するのだろうか。

 世界的MF、ジネディーヌ・ジダンはアルジェリア移民の息子で。マルセイユのあまり上品とは言えない地区で育った。近所の悪ガキたちと、コンクリートの広場で彼はサッカーを始める。子どもたちがサッカーをしているのを見ているとき、親は安心した。少なくともサッカーをやっている間は、子どもたちは喧嘩をしないし、犯罪からはなれているからだ。ジダンの父親は一年間倹約を重ねて、クリスマスにサッカーシューズを息子にプレゼントする。幼いジダンはそれを毎日磨き、靴箱ではなく、ベッドの下に大事に仕舞った。ジダンは父親がどんな思いでサッカーシューズを買ってくれたのかわかっていた。「命の尊さ」みたいな空疎な言葉だけでは、伝えたいことは伝わらない。

小論文ノートを作る12   [小論対策]

『MUNDIAL2002 世界標準を越えて (フィジカル・インテンシティⅣ)』 村上 龍/光文社
成功するかどうかはシンプルな要因で決まってしまう。

(p38)
 教師の質が低下したわけではない。親の質が悪くなったという意見も多いが、それも間違いだ。教師と同じで、昔もひどい親は大勢いた。じゃあ教育の荒廃の原因は何なのか?

 教育の荒廃、という表現が間違っているのだ。確かに現象としては荒廃しているが、今の教育制度が経済形態に合わなくなってしまったから起こっていることで、教師や親や子供たちが「ダメになった」わけではない。

 教育を巡る論議は短期的に対応すべきことと、中長期的なビジョンを必要とするもの、システムや法律やコストに関わること、考え方の転換が必要なことなどさまざまなフェイズがあってそれらを混同しないように話すのは楽ではない。

(p71)
 「まったく、ワールドクラス比べるとうちのFWは足が遅くて、つくづくいやになってしまいますよ」というような監督の発言は甘えだ。そう思うのなら監督を引き受けなければいい。

 だが、プロスポーツの監督に限らず、日本では甘えがいまだに横行している。
 「うちの息子はバカで困りますよ」
 「もうちょっと勉強してくれると助かるんですけどね」

 親のそういう言い方は甘えだ。バカな息子に育てたのはいったい誰なのか。勉強しない子どもになったのは誰のせいなのか。甘えは至るところにあり、自覚されていないことが多い。「世間」で、甘えは歓迎されてきたので、それが甘えであることに気づきにくい。甘えは必ず誰かを傷つける。

(p109)
 2、3年前だが、あるインタビューでイチローは、ボールを強く叩くことを常に考えている、という意味のことを話していた。ボールを強く叩くというのは、おそらくバッティングの基本ではないだろうか。それはバッティングにおける「世界基準」のようなもので、イチローは日本にいるときからその基準に沿って訓練を積んでいた。

要するに「日本の野球」ではなく、普遍的な「野球」を目指していたのだ。希望的観測を交えずに、新しい状況・事態をシミュレートして、対応すべく努力をしていたということになる。成功するかどうかはそういったミもフタもないシンプルな要因で決まってしまう。

小論文ノートを作る11   [小論対策]

『すぐそこにある希望』村上龍/KKベストセラーズ   (すべての男は消耗品である Vol. 9)
(p161) 優先事項を決められない国家や個人は、必ずそのしっぺ返しを食う。

(p180)
 謝罪という行為は、まず自ら非を認める意味がある。発生した不祥事や悪事やトラブルや事故に関して、それが起こったのはわたしに責任があり、わたしが間違ったり悪かったりしたからです、という意思表示が謝罪に含まれる。

 非を認めるだけではなく、そのことが被害者に及ぼした被害についても認め反省して再発を防ぐための努力を約束する、というようなことも謝罪の機能として重要だ。

 謝罪された側は、不祥事や事故やトラブルを起こした側が、非を認め反省し再発防止を約束することで、怒りや悲しみを和らげ感情を慰撫される。

小論文ノートを作る10   [小論対策]

『すぐそこにある希望』村上龍/KKベストセラーズ(すべての男は消耗品である Vol. 9)
(p14) わたしたちの社会には対立は基本的に好ましくないという考え方がある。対立をあえてキープして、急激な変化に対抗し、ある一つの考え方やシステムに盲目的に従うことに警戒心を持つという戦略はほとんどない。対立するポイントを残しておくのは、面倒くさいが、ある大きな流れの中に違う選択肢と、それに内省と批判力を潜ませておくという意味で有効だ。

(p112)
 98年に初めてW杯に出場した日本代表と、今の代表を比べるとはっきりした違いがある。技術は今の代表の方が高いが、もともと日本選手の技術の違いなどたかが知れている。問題は、世界との力の差をどれだけ自覚しているかどうかだが、今の選手たちには根拠のない自信のようなものがある気がする。「世界にはいろいろな強豪国があるが、自分たちもそれほど劣っているわけではない」というような奇妙な自信だ。そんな自信がどこから来るのかわたしにはわからない。

 だがそういった根拠のない奇妙な自信は他の様々な領域にもあるような気がする。世界的に活躍する日本人が増えて、日本人全体のレベルが上がっているのだと勘違いしているのかも知れない。またメディアの進歩で様々な情報が入ってきて、世界のことを知っている気になっているのかも知れない。はっきりとした原因は不明だが、日本社会の洗練と閉塞が根底にあるのは間違いない。

(p145)
 日本は、アメリカに頼らず北朝鮮の核攻撃を回避する方法を自力で考えなくてはならないと思う。その方法とは核武装だろうか。だとしたら、北朝鮮と日本が核を撃ち合って損害が大きいのはどちらだろう。相手は中古の自転車や電気製品をボロ船で運ばないとやっていけないような超貧国で、日本は世界で二番目に豊かな国だ。もし核の撃ち合いが損だとしたら、どうやって北朝鮮が核ミサイルで攻撃してくるのを回避すればいいのか。今のところそういった問いさえも、大手既成メディアのどこにも存在しない。

騒ぐな1年生諸君   [ことば]

センター試験が終了した。
あと2年を切ったことになる。準備を始めて欲しい。
特に、あなたの時にも配布ミスはあるのだし、もっと迷惑なことは起きるのだ。
だからそれを織り込んで今から練習しなければならないのだ。
準備は時間があるときにしなければならないからだ。

常に基礎基本を徹底的に学習する。
何度も同じことを繰り返す。
基礎基本がしっかりして、スピード対応の準備をしていれば動じることはない。
悪い流れを生み出すのも弱い心なのだ。
良い流れを手に入れるためにも、時間があるうちに準備をしておこう。

1年生諸君   [情報]

1年生諸君 センター試験まで後2年
全てをかけるには十分な時間がある。今日から対策を始めてくれ。
そのためにも、明日の朝刊に掲載された問題は解くこと。
インターネットならもっと早くに問題が手に入る。5割は得点できるぞ、英語と国語の話だ。

健闘を祈る。

小論文ノートを作る9   [小論対策]

『すぐそこにある希望』村上龍/KKベストセラーズ(すべての男は消耗品である Vol. 9)
(p115)  冷静というのは無頓着とは違うし危機感を持たないということでもない。冷静な対応というのは、まず現実を受け止めて、情報を整理し、対策を考えて、可能なことから実行するということだ。


(p131)
 飲酒運転を防止しようと思ったら、酒を飲んで運転するリスクと万が一事故を起こした際のコストを丁寧に説明する努力も必要ではないだろうか。

 大人だからそんなことはわかっているに決まっていると関係者は思っているのだと思う。民主主義が根付き、高校進学率が100%に近づいて教育もある程度普及した今、どうして飲酒運転のような幼稚な犯罪行為が問題になるのだろうか。

 大人なら当然抱いて然るべき危機感がない個人が少なからずいるということなのだろう。最悪の事態を想像しない人間が無視できない数で存在すると言い換えることもできる。万が一、ということを考えない人がいるということだ。

(p136)
 「日常的平穏」を優先するという基本姿勢は、「この世の中では往々にして取り返しのつかないことが起きるので最悪のことを想定して事態に対処したほうがリスクが少ない」というごく当たり前のことを想起しにくくなるという弊害がある。

 経済が十分に成長した社会で「日常的平穏」が優先されると、あらゆることが「趣味的」になり、「人生を変えてしまうようなこと」「致命的なこと」「生き延びるためにどうしても必要なこと」などが問われなくなる傾向が現れる。

 こんなに酒を飲んだあとに運転したらひょっとしたら事故を起こして人生を棒に振るような事態に陥るかも知れない、というようなごくごく自然な危機感を持つことができない人が増えているとしたら、その要因は単純ではない。

小論文ノートを作る8   [小論対策]

『大不況とパンデミック』村上龍/KKベストセラーズ (すべての男は消耗品である Vol. 10)
2009年7月1日初版第一冊発行

何を最優先にして生きるのか、政府にも、国民にも、そのことが問われている。

(P127)
 外交にしても、アメリカがしだいに中国との共存を図りつつあり、超大国の地位を自ら降りようとしているように見える。いずれにしろ世界は多極化していくはずだが、日本は対米追従外交以外に選択肢を持っていないように見える。

 まさに八方ふさがりという状況で、非常に悪い循環がすでに始まっている気がする。悪い状況というのはまだ解決策を探ることができるが、悪い循環に入ってしまうと、抜け出すのは困難だ。わたしには、今の政治家の悪あがきが太平洋戦争末期の軍人トップに重なって見える。もちろん今は平和だが、非常に悪い循環に入ってしまっているという意味では両者とも似ている。

(p141)
 1930年代の大不況が第二次大戦につながっていったような政治的危機の連鎖は起きないだろうと思う。いろいろな意味で世界が昔よりは豊かになり、無知な人々が減っているからだ。それでは何が起こるのかというと、アメリカ一極の軍事・政治・経済覇権の衰退だろう。これは、もう間違いない。第二次大戦後のイギリスからアメリカへ覇権の移転のように、次の覇権国は見当たらないので、当分はアメリカを中心としてEU、中国&インド&ロシアなどの新興国、中東、日本などによって多極的に世界は運営されていくことになるのだろう。

 しかしそういった事態は日本にとっては面倒だ。外向的にアメリカ追従以外のオプションを持っていないので、新しい国際政治の力学に適応できないかも知れない。アメリカ追従をやめて、多極化した世界に対応するというのは、たとえば対中国関係一つをとってもその困難さがわかる。日本は幸いなことに近代以前に近隣諸国との長期の戦争を経験していないし、室町時代の元寇を除いて、外国の軍隊の侵略も占領も受けていない。

 だが、そのことは逆に言うと、長期のビジョンを持って最優先課題を設定し、短期のギリギリの妥協を重ねながら、最大限の国益を得るというような考え方が政府にも国民にも希薄だということを意味する。

 アメリカ追従という基本政策は、近隣諸国と面倒な交渉が不要なので外向的にとても楽だ。しかし、アメリカに頼ることができないとわかったとき、日本の政治家はどういうビジョンにもとづいて外交や経済政策を考えるのだろうか。

 もっとも危険なのは、これまでの反動でいっきに反米に振れることだ。北朝鮮のテロ支援国家の解除とその後の日本政府の反応などを見ると、すでにその兆候はある。今後しばらく良いことは何も起きないだろう。何を最優先にして生きるのか、政府にも、国民にも、そのことが問われている。
(2008年10月28日/「世界的大不況と投資銀行」より)